BIBLE
「10年目の壁」というテーマで大先輩と話したことがある。
その先輩とは数年前まで校長を勤め、常に学校教育や児童の発達に関わることで教授くださる教育の大先輩だ。
教員研修では1年目・5年目・10年目という節目に研修が行われ、10年目の研修が一番やりにくく、それは全て分かった気になり学習意欲が低下しつつある方が紛れている中での研修会だからだそう。
私自身、うすうす感じていた この「10年目の壁」の存在は、先輩との会話で更なる納得へと移行した。
しかし、これは悪いことばかりではなく、むしろ10年経って右も左も分からないようでは逆に困る。
大切なのは「初心を忘れない事」
と言ってはみたものの、そもそも「初心」とは何だろうか。
ソレを始めようと思った きっかけや動機のことだろうか。
人生、初志貫徹とはいかず、大抵の場合は 始めるときの動機が自分自身でも良く分かっていなかったり、やっているうちに違った喜びに触れ途中からソレを目指すようになることが多い。
何れにしても、いや「だからこそ」、自分自身が何のために仕事をしているのかを整理することが、度々ある節目の時に必要なのかもしれない。
私たち経営者は兎角、長い経済活動の中で一貫性に欠ける行動に走る傾向がある。
それが悪いこととは思わないが、一つの目的をもってスタートを切ったはずなのに、ある時から「コンテンツは何でもよく 収益を上げられさえすれば良し」とした志向(思考)は市場の目には良くは映らないケースが多い。
多彩か浮気性かのジャッジメントは、受け手の喜びを想像して作られたビジネスか否かという点に尽きる。
例えば弊社が今秋から不動産賃貸業として、もう一つハコを作るが、流石にアパート経営とフィットネスを結びつける作文は筆者の文章能力では不可能。
しかし、この経済が疲弊し 銀行の目も厳しい情勢において、併設された店舗の収益を安定化させるためにこそ、アパートの家賃収入の力を借りるという判断であれば、エステを低価格で受けられることを待ち望んでいる多くのお客様なら納得してくれる。
こうしたオーナーの意図を提示することは、株主総会云々よりも お客様へ先ず公表することが大切であり「口が達者」ではなく「責務」と捉えている。
クラウドファンディングにより支えて頂いている場合は尚のこと、である。
ビジネスパーソンは、10年もすると違ったことに興味を持ち、初心とやらを忘れがちになる。
そんな時こそ、心の聖書を確認し、時に立ち止まり、羅針盤に忠実に歩みを再開させ、昔と今とコレカラを結びつけたとき、どんな作文が出来上がるかを自分なりに考えたい。
そこに綺麗な一貫性など無くていい。
私たちの興味は「人と出会うこと」にある。
その為なら、新たな地にも出店する。
新しいことを始めなければ出会えない人が居るとするならば、それを始める。
ピラティスの大衆化は私たちと素晴らしい女性たちとの接点を作り出してくれた。
子供の運動教室はたくさんの幸せそうな親子に出会わせてくれた。
そしてエステサロンは私たちとギャルとの接点を作り出してくれるのは想像に難くない。
私たちの BIBLE(心の聖書)には「人と出会うために 惜しみなく お金を使いなさい」と記してある。
金融機関の皆様には心から感謝を申し上げる。
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