時間の堪能レベル
感情知能(EQ)の分野では 感情のナビゲート というコンピテンシーが在ります。
この能力は、感情を押し殺したり我慢をするばかりではなく、自分にとって最もストレスやダメージが少ないように物事を受け入れるために、どのように自分自身にその事実を認識させようとするかという能力でもあります。
例えば自分自身に辛い出来事や理不尽な要求が降りかかったとき、皆さんは「きっとこれを乗り越えれば自分は一回り大きくなれるはず」という神様が与えた試練を幾度となく用いたはずです。
実は、これが 感情のナビゲート でもあるのです。
どうでしょうか。
そう捉えたほうが気持ちが楽になりますよね。
また、第二希望の職場に就いたときにも「これで良かった」と言い聞かすはずですし、第二希望のパートナーに対して「この人のココが美点」と良いとこ探しをするものです(笑)
みな、自分にとって都合よく捉えたほうが幸せになれることを経験則から理解しているのです。
しかし、この「これで良かった」という自分自身への説明文を「なぜ?」「根拠は?」というように立ち止まってしまう方がいます。
理由を考えず、起きた事実を肯定する習慣を持ち、尚且つそれに対して あたかも自分が望んでいた選択だと心の底から思えるようになるテクニックは、比較的 年齢が上がれば上がるほど上手にこなせるようになっていくものです。
そんな流れに身を任せることと、「いや、今回は食い下がるわけにはいかない!」という適切な意思決定もまた、EQの総合活用ということになります。
したがって「プライドは高いほうが良いのか低いほうが良いのか」「思ったことはすぐに意見として言った方が良いのか否か」などの議論に対しては「その時々によって」としか言いようがなく、もし誰かが何かを唱えていたとすれば、それは自論の域です。
では人々のメンタルヘスに大きく関わりのあるこの 感情のナビゲート を育てていくためにはどんな教育と訓練が必要なのでしょうか?
私は「感謝」をする習慣が最も大切なのではないかと思っています。
例えば、年に10回もディズニーランドに行く人が その時々に感じる楽しさ、喜びと、3年に1回行く人のソレとでは、どちらが感激や感動が大きいでしょうか。
つまり「また来れるよ!」という機会(チャンス)が多ければ多いほど、その1回毎には有難味が減少する傾向にあります。
毎日1万円のコース料理を食べられるような生活をしていたら、その料理が食べられることへの感謝も分からなくなってしまいそうですよね。
大人になれはなるほど、経験を積めば積むほど、多くを知れば知るほど、私たちは収入は増えるけれども「今を丁寧に生きる」「1回1回を堪能する」ということが苦手になっていきます。
これは不幸なことです。
疲れて、頑張って、働いて得たお金で買ったモノ、得たお金で行った場所。
それらを消化・消費するときに感謝と有難味が少ない人には残念ながら 時間の堪能レベル が下がります。
稼いだ人は苦労を知っています。
稼ぐ人を支えた人も苦労を知っています。
でも、そうでない人がチーム内にいた場合どうなるでしょうか。
チーム(家族)とは 時間の堪能レベル を一致させてこそ最高の喜びに触れられるのです。
だから私は家内より頑張ろうとし、職場のどのスタッフよりも多く働こうとし、またまたその逆の反応が起き、結果として互いが高まり、至福の乾杯をするのです。
1日1膳しか頂けない人が世の中には大勢います。
私たちはきっと その方たちに 時間の堪能レベル では負けている気がします。
さぁ、お金を得た大人たち。
もう富を得ようだなんてばからしい考えはよして 時間の堪能レベル を上げようではありませんか。
子供たちには感謝の教育を。
追記:
昨日は家族で相模原周辺へ遊びに行ってきました。
そんな中、他のスタッフは出勤をしてくれていることに感謝します。
またGW中にスタッフの1人が令和婚を致しましたが、お客様から温かいお声を頂きましたこと、深く感謝申し上げます。
感謝が有難味を生み、有難味が事実に幸福をプラスしてくれるようです m(__)m
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