父親論
ー 人生は遊びだ ー
6歳の息子が父と母のスマホを使って ポケモンGo に熱心に取り組む姿は、まさに子の鏡。
そう来なくっちゃ。
ポケモンGoの良いところは家を飛び出すところにある。
安全には配慮しつつ、寒くても、雨が降っても、近所の公園に行こうとする その情熱は忘れるな。
子供の頃に何かにハマるという現象はとても大切な工程だと私は思っている。
スポーツの英才教育をやらせるかと思いきや、そうではないのが意外だと数えきれない人たちに言われるが、我が家は特定のスポーツはやらせておらず、まだ自由に泳いでいる。
ハマる、つまり熱中する。
この心理状態を勉強で作れと言っても無理がある。
あれは一部の子供を抜かせば、椅子に座るよう訓練をさせられているからである。
ハマる、つまり物事に深く没頭する。
他を忘れる瞬間を体に刻み込め。
その感覚を持っていない者にエンターテイメントは作り出せない。
30歳を過ぎたら本当の意味で成人式を迎えると言われる現代人。
確かに医学の進歩で寿命は長くなり、労働年数も増えることを考えれば、精神的な熟達を急ぐ必要はどこにもない。
そして闇雲に駆け抜けた10~20代のあとに「人生は遊びぜよ」と、ふと肩の荷を下ろすことが悪かといえば、そうではない。
それをしようと思った時。
遠い記憶の中に「遊び」が少なかったら、人はこの心境になれるだろうか?
もがき苦しむ時代も必要ではあるが、個人差あれど、人は必ずココへ戻ってくるべきなのだ。
ドラクエやファイナルファンタジーなどのロールプレイングゲーム(RPG)は必ずレベルを上げ、味方を募り、ボスを倒し、世界平和を手に入れ、勇者は栄光を手にする。
設定で「Easy/Normal/Hard」を選ぶことができるが、イージーでクリアして何が面白いという話である。
ボクシングも階級を変えてチャレンジするが先の話と全く変わらない。
人生は真剣なゲームだ。
生まれながらにして自分に備わった特技を活かし、また関心事を探求し、自らの能力を社会へ振舞って自他の幸福を楽しむ最高のゲームだ。
ただし、リセットボタンはない。
人を傷つけて簡単にやり直しが利くものでもない。
その辺りのバーチャルと現実をバランスよく理解させるために、現代の大人たちは子供に対して上手にSNS・スマホ・ゲーム・電子機器と向き合わせる必要がある。
我が家は中卒計画が進んでいるため、優秀な成績で小中時代を過ごしてもらいたく、4歳から塾に通っている。
ヤル気がない日は行かないようにし、自主性に任せている。
勉強も遊びも一生懸命。
優秀な中卒。
堂々とした中卒。
海外経由の東京戻りが親の目論見ではあるが、おそらく2~3割は親への反論による脱線を期待している。
会社は継がせない。
後継者ではなく後発者へ繋ぐ。
ニューヨークとハワイには必ず行け。
両極端を見ろ。
ヨガとピラティス両方学べ。
両極端を見ろ。
言葉が通じなくてもサービスが成り立つ「何か」を身に着けてみろ。
30歳までにお金に興味が無くなるほどの働きを見せてみろ。
30歳からお金に興味が湧かないほどの何かに囲まれて生きてみろ。
下は向くな、小銭は拾うが将来 医者代がかかる。
父は子育てに一生懸命にはならない。
自分のゲームが忙しい。
どうだ?
父のゲーム楽しそうか?
その為には勉強が必要なんだ・・・
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