「運」を捕らえよ
面白い実験が在る。
「私は自他ともに認める運の良い人間です!」と豪語する人と、その反対で「自分は運が悪い人間なのです・・・」という人を100人ずつ集めてみた。
同じ部屋の中で数々のゲームをするが、一向に双方の差は見られなかった。
しかし唯一、一つだけ違いが現れるものがあった。
それは制限時間内に新聞の中に散りばめられた文字を見つけ出すというものだった。
なぜ、この問題だけ差が生まれたのかは説明が一文で済むものではないが、逆にその他の結果に違いが生まれなかった理由は「これまた運だから」であった。
つまり、運の良い人と悪い人を集めて色々なことを試してみたが、結果は「その時の運」ということで、運の良い人たちが勝つこともなかったそう。
宝くじやジャンケンは完全に確率の問題で、何回に1回は買ったり当たったりするようになっている。
そして様々な論文を見ると「運」の割合は50〜60%程度、そして残りが努力や実力からもたらされる成果だという。
こう言うと、では「努力は無意味なのか」と呟く人がいるかもしれないが、残りの40〜50%をお粗末にする人とは議論をするつもりはない。
残りの40〜50%も決して小さくはない。
そうではなく、緻密な計算と血のにじむような努力をした上で成功を掴み取った者も居れば「たまたま近所のオジサンに跡取りがおらず、小さい頃から可愛がってもらっていた経緯から利益の出ている会社を無償で引き継がせてもらった」などという少々ラッキーな案件が世に出回らずに、同じ成功者と周囲から見られているのが「世の中」だということを理解するのも悪くないという話。
しかし、これらは「ケ・セラ・セラ:なるようになる」という片付けかたとも少々違う。
「なるようになる」では、あまりにも傷ついた者による慰めでしかない。
成功者は「運」は磨けるものであることを知っている。
成功が嫌いなら成長と置き換えても良い。
自分が今よりも、もっと輝いた舞台へ進むためには「運」を身につける必要があり、その方法は周到な準備をして打率を上げることしかない。
周到な準備をするには努力が必要と言ってしまえば「努力と運のパーセントの割合」が少々動きそうだが、チャンスに耳を傾けるアンテナの感度を冴えた状態にしておくことが、先程の「制限時間内に新聞の中から ある文字 を発見する」というゲームにおいて勝者となる。
この天文学的な計算方法で打率を上げることができる「運」は磨くことに勤しむよりも、やるだけのことをやった人が最終的に「あいつには敵わないや!」と笑顔で相手を称賛するときに使ってほしい。
したがって、私達に残された選択肢は不器用にも努力で進んだ軌跡に自己満足をすることしかないのかもしれない。
そして運が良さそうに見えるあの人にも「実力が何%プラスされているか」など、コチラに分かるはずがない。
だってそうだろう。
この私が、たまたま18歳のときに4つ上のガールフレンドからピラティスを教えてもらい、20歳のときに教授からピラティスの資格を取るように勧められ、大卒すぐにピラティスを仕事にし始めたという地方では奇跡的なスピードでフィットネスを始めていたことは運が良かったとしか言いようがない。
先見の明ではない。
スタートが早い、
他社がいないからお客様が山ほど集まる、
実力と経験がつきまくる。
狙ったように物事がうまく行くことなど本当に本当に僅かなもの。
今、うまく行かずに悩んでいる方は、どうか明るく捉えてほしい。
私がここまで来れたのは「運が良かった」部分が大きいと思っている。
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