SURVIVE
子供の頃に通い詰めたホビーショップ「バンバン」
学区外への自転車旅は原則禁止ということで、明らかなルール違反を犯していた私たちは、ただただロック商店街にある ひとつの玩具屋さんへ二輪車を走らせた。
メリケンサック・バタフライナイフ・お城のプラモデルなど、大人の玩具には目もくれず、私たちが虜になったのはミニ四駆とエアガンだった。
休日の公園で行われるサバイバルゲームは最高にスリリングだった。
時々金持ちの高学年がガス銃という反則技を用いたが、反射神経と視野の確保と持ち前の運動量でスペックの違いを感じさせない見事な戦いを繰り広げた。
( 時代的に「良い子は真似しないように」・・・と言う必要性もなさそうだ が)
あんな時代もあったもんだ。
つい最近、60代半ばのお客様がコロナ禍を生き抜く厳しさと逞しさを言い表す意味で「サバイブ」という言葉を使った。
久々に私の心を下の方から加熱した出来事だった。
状況が困難になり皆が一定の過酷な状況を強いられ、その中で もがき苦しむ際には、一部の人間にのみ「失うものなし!」という開き直りに近い強さと勘違いから来る心の高鳴りが存在することに先日気づいた私。
整地されたグランドよりも、泥沼のピッチで暴れ馬のように走る PHYSICAL MONSTER に、男であれば誰もが憧れる。
そんな不整地を蹄(ひづめ)で捉え、確実に地球をグリップする脚力が今のビジネスマンには求められている。
重力が反転しようと この場を離れない。
突風が吹いてもよろめかない。
そんな脚力を。
大抵の場合、それらを困難にしているのは つまらないプライドでしかない。
築き上げてきたものを手放し、温めてきたものを捨てるときに 自分をなだめるのは、気合や努力ではなく「他人からの目を気にしない」という自己評価であり、自分で自分を称える自己愛しかない。
世の中の経営者、管理職者、事業主、そして不況と聞いて肝が縮んでしまった諸君。
サバイブと聞いて逆に燃えてくるという癖は無いか?
あるか?
あったなら この話は胸にしまい、そして実際に健康被害や倒産に追いやられてしまった方の苦しみも同時に胸にしまい、あなただけは心病むことなく、身近な人間を勇気づける側にまわって欲しい。
失敗してしまった人を温かく迎えてほしい。
食料が尽きてしまった人に優しくしてあげてほしい。
令和戦国武将が美徳を感じるべきは、富や強さではなく大切な人を一人も死なせないという実績である。
幼少期、ルール違反をしてしまった私をお許し頂きたい。
後にアメリカの戦略でトイザらスにやられることを知り、推している玩具店に課金したかっただけなのだ。
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