木を見る人、森を見る人。
分析には数字の定点観測が必須である。
この時期には数値が上昇し、この時期には横ばいを続け、この次期には下降気味となる。
それが翌年も同じサイクルで進むのか。
そのまた翌年はどうなるのか。
データが貯まれば貯まるほどに信憑性・親和性・信頼性は上がっていく。
そして、データの分だけ安心して冒険にも出られる。
しかし、時に数字は当てにならないこともある。
もちろん数字しか見ない人も、当然 あてにならない。
数字の「1」は以前の「1」と同じ「1」なのか。
「10」は あなたが知っている「10」なのか。
「100」は昔の人がもたらした「100」なのか、それとも これからの人がもたらす「100」なのか。
回復とは、数字が元通りになることではなく、姿かたちがそのまま元へ戻ることであり、今の世の中はニセの回復に近づく業種・組織・関係性・人格・精神状態もあるが、決して以前のモノとは違う。
それが世の中の常であるため それはそれで良いのだが、これを回復とは呼ばない。
そして数字屋になってはいけない。
インビジブル・ファクター(可視化できない要素)に目を向けなければ、内訳、動向、未来を見ることはできない。
「木を見て森を見ず」なプレーヤーと「森を見て木を見ず」なボス。
分析を確かなものにするのは、互いへの敬意と感謝を育めたチームのみ。
我々はどうだろう。
互いの持ち味を発揮できているだろうか。
0コメント