決断を誤るでない
昔は「通学路やぶり」を良くしたものだ。
安全と防犯面の視点から、子供たちがどのルートを通るかが最適化されていることを考えれば、これに従う他ない。
ただ、規則を破りたくなるのが人の性(さが)。
「このあぜ道、突っ切ったら、早く行けんじゃねーの?」
(早く帰らないと、うんち漏れそう・・・)
熟(こな)れた3~4年生は、そろそろ規則との付き合い方を理解し、自分の判断で良し悪しを決めるようになる子も出てくるかもしれない。(通学路は守りましょう)
決まりが多く 決まりを純粋に守った結果 待っている未来は、統率が取れ、人の意見の良し悪しを熟慮せず信じ、疑う工程を省き、自らの判断力を研ぐ機会を減少させる。
8割がた「YES」と答え、8割がたの人と意見が一致するよう訓練を受け、8割がたの人と価値観が似通った世界を促進させることになる。
誰にとって統率が取りやすいよう設計されているのか。
法律は確かなものとして信じるしかない。
また、郷にいては郷に従うべきだと思う。
ただ、それ以上のルールを作ることは これからの時代 オワコンでしかない。
目的地へのルートは人それぞれで良い。
現地集合で良い。
選挙ポスターに落書きはダメ。
プロレスのポスターも本当はダメ。(今は見ないね)
大人たちも葉っぱはダメね。
ルールはルールで守り、倫理は倫理で温めていきたい。
でも唯一無二の存在として生まれてきた彼ら彼女らには、もっともっと、生まれた瞬間から多くの選択があっていい。
この辺りの 自由度の解釈 が皆異なり、私たちは紛れもなく 遺伝子 × 学校教育 × 家庭環境 の掛け算で今が作られていることだけは理解しておきたい。
どれを選び、何にお金をかけたって良い。
学校を変えたり、環境を変えたり、勉強法を変えてみるのも良い。
素晴らしい親になろうと誓うのも良い。
いつだって私たちは選んできた。
道を選んできた。
消去法という選択もしてきた。
何も選ばず時間切れを迎えるという選択もしてきた。
多数派がベタだろうという選択もしてきた。
将来を見据え派閥を考慮した一票も入れてきた。
脇道に魅力を感じ、通学路を外れた。
「選んでない」と言うのであれば、あなたに今後 良いことが起こったときは「誰かのおかげ」ということで宜しいだろうか。
「選んだ」と言うのであれば、上記は回避できる。
ぜひ回避 頂きたい。
追記:
本店敷地内のサロン建設も、残す所あと1ヵ月ほど。
子供の頃に見た景色が今は残っていない住宅街を見ると、田畑が恋しいと感じるように、私たちが新しいものを作ることで、残念な気持ちになるという方々もいるかもしれない。
近隣の皆様には、景観を変えてしまうことに申し訳ない気持ちを持つと共に、ここに昔から住み、慣れ親しんだ土地・空間・景色を使わせて頂く感謝をもって新事業に取り組みたい。
以上。
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