歳を重ねるという痛手
おはようございます。
日本一「運動について」を語らないフィットネストレーナー Masaです。
何ででしょうね (^^)/?
先日こんな体験をしました。
私が、ある年上の方と話をしていた時のことです。
「なぜ、それをやるのか」という問いに対して、論理的な説明が必要であるシーンにおいて、私は理屈ではない部分によって遂行することを決定したため、その方は眉をひそめていました。
そこで皆さんだったら「人生ってさ、楽しむものだと思いませんか」と言えますか?
何気ない友人・同僚・部下との会話であれば それらしき事を言えるような状況でも、それが立場や状況によって言葉に詰まることは皆さんにも在りますよね。
さんざん練習してきた言葉が喉まで出かかっているのに、あと一言が言えないという感じです。
私はこのようなことを20代の頃から幾度となく経験してきました。
その度に私は「年上の人は気を付けないと損をする」と考えるようになったのです。
世の中に正解は3つあると言われています。
・1つ目が自分にとっての正解
・2つ目があなたにとっての正解
・3つ目が世の中にとっての正解
(細かく言えば一人一人の正解もあるかと思いますが)
このようなことを踏まえたとき、コレといった正解など無いとも言えます。
しかし、歳を重ねるにつれて下手に会話のイニシアティブを取れてしまい、その場の世界をマウンティングできてしまうため、年下から真っ当な意見を吸い上げるられる可能性が著しく低下してしまいます。
結論として、歳を重ねるにつれて年下の方からの貴重な意見を吸い上げる環境を無くし、成長が緩やかになる時期であることを理解すべきだと感じました。
正解ではないものを正解とさせる力を持った環境においては互いの成長は皆無に等しいと弁え、その教訓に対し弊社でも注意して取り組むようにしています。
世の中ってさ、こうだからさ。
こうやると上手くいくのよ。
そういった助言や誘導が若者のハートを刺激できていないことにオジサンたちは一生気づくことはないのかもしれません。
それはそれで良いのですが、私たち相談業務に携わる身としては絶対に在ってはならないことだと周囲と共有したテーマでもありました。
歳を重ねると主導権を握りやすくなります。
しかし一方で、他人は、特に部下は本音で語らなくなってきます。
それでは解離が進み残念ですよね。
私は言いましたけどね。
その方に「人生楽しむだけじゃないですか」と。
眉毛の角度が増したことは言うまでもありませんが。
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