大人の通知表
おはようございます。
数日ほど前から桜が満開となり、先週末はお花見をしたという方も多いのではないでしょうか。
そんな風物詩に酔いしれる間もなく過ぎ去る毎日に「これで良いのかな?」と感じることもある わたくしです。
社会人一年生は研修やオリエンテーションを済ませ、期待と不安を抱えながら出勤していることでしょう。
また、子供たちも新たな学年となり、新生活と春の陽気に誘われて心なしかスタジオの前を通る小学生の笑顔も一段と華やかです。
さて、小学生になると通知表(成績表)ができます。
記号を用いた三段階評価が一般的で、中学になると数字を用いた5段階評価になります。
小学校は2002年より相対評価から絶対評価に代わり、一定基準を満たせば多くの子供たちが「◎」を頂けるようになっているようです。
これは非常に良いことだと私は思っていて、全体の中で自分がどこに位置しているのかというジャッジ(相対評価)は本質的な要素としては全く意味を成さず、受験などの際に参考となる指数でしかないような気がします。
一方、絶対評価は「一学期に比べて二学期が良くなった」という、あくまで比較対象が自分自身である面や、全学期の中で理解が難しかった期を判断するのに有効的です。
(例)足し算を習った期は得意(高評価)だったが、引き算を習った期には苦手(低評価)になったなど
つまるところ、他人と何かを比較する考え方を撤廃しようとする流れが強調された2000年代に 世界に一つだけの花 的な風潮が蔓延した所以は歴史的な背景や、時代の流れ、そして私たちの価値観の変化、幸福感の変化、メンタルヘルスという側面からも真っ当な流れだったように感じています。
では私たち大人はどうでしょうか?
周りを見て初めて自分の立ち振る舞いを決める。
周りを見て初めて自分が何者であるかを悟る。
周りを見て初めて自分が頑張っているほうなのか、頑張れていない人なのかを判断する。
これでは疲れてしまいます。
分かっちゃいるけどやめられない、のですよね?
今の世の中、一億総評論家時代と言われています。
つまり国民全員が自論を唱えては評論家ごっこをしているようなものです。
他人の意見が気にならなくなるためには、自分のやっていることに一生懸命になるか、他人を愛してしまうしかありません。
どちらも頑張れば良いと思います。
けなし合い、批判し合い、自分のほうが優れていると思い込んでメンタルヘルスを成立するのは寂しいものです。
きっと、きっと、あいつは良い奴。
そう思うって過ごしたいですね。
追記:
6月になりますが久々に幼稚園の講演会に呼んで頂くことになりました。
「非認知能力とEQ子育て」というテーマにしてみようかと思っています。
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