アフウヘーベン
永く願っていたことが手に入ったとき、ふと後ろを振り返れば知らず知らずのうちに手から零れていったものに気付くときがある。
何かを得れば何かを失うとは言うが果たして本当だろうか・・・
どうやら9割は正しそうだという事実を知ったとき、一瞬、永く願っていたモノを手にしたときの喜び上回るほどの悲しみに見舞われることがある。
だとすれば現状維持がもっともベストな選択とでも言うのだろうか。
何かを得れば何かを失う。
失ったモノを再び取り戻す旅に出れば、また過去に得たモノが消えていた。
この特性は何なんだ。。
追えば逃げていくというルールでもあるのか?
幻か?
幻想か?
いや違う。
戦略的に追いかけて手に入れてきた過去だってある。
でも確かに数年前にはあった資質が、何かを得ようと思ったら今は消えていた。
そうか。
料理が上手くなったからといって勉強が苦手になるということはないし、サッカーをしたらテニスが極端に下手になるということは無いが、几帳面な人との暮らしに慣れることで大雑把で適当・適切な自分を用意することが苦手になるということはあり得る。
この前者と後者の違いは「スキル&アビリティ」or「コンピテンシー」の違いなのかもしれない。
私たちの性格上の特性は実に奥深い。
人の容姿や身体能力が違うように、心の特性や嗜好性も千差万別、十人十色。
これはまさにアフウヘーベン。
自分は今、今日、今週、今月、今年、ここ数年、どんな自分で居たいのか。
どんな自分をメイクしていけば場にふさわしいのか。
どんな自分が要求されているのか。
どんな自分だったら成功へと通ずるのか。
「変身~!!!」を掛け声に、自分のコンピテンシー(性格上の資質や適正能力)を瞬時に作り替えることができれば無敵なのに。
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ブログを御覧の皆様いつもありがとうございます。
先日、数年ぶりに自身のEQ検査を行い思いにふけるという時間がありました。
上記の彼のような葛藤が誰にでもあるかと思います。
またこんなことはありませんか?
なぜ、あの人はあんなことを言ったのだろうか?
なぜ、私はこんなことに不安を感じているのだろうか?
なぜ、私はこんなことに いつまでも捕らわれているのだろうか?
なぜ、私だけが気にしているのだろうか?
その答えを皆さんは「深層」などと呼んだりしますが、すべて私たちの感情が私たちの行動を大きく作っていっているという事実を理解しなければなりません。
そして、その感情たちは厄介なものではなく自分にとってプラスのエネルギーとして使うことができる貴重な材料であることも同時に理解する必要があります。
それらの理解を促してくれるのがEQです。
EQはエモーショナルクオッティエント(心の知能指数:感情知能)と言い、私たちが日頃何気なく発揮している心の一種の能力を理解し、シーンに合わせて意図的に発揮できるように訓練をする前向きカウンセリングです。
また感情と思考という2つの領域を理解することで最適な行動選択(意思決定)へと結びつける能力とも定義できます。
先天的な要因が大きいとされるIQに対し、EQは気付いたときから伸ばしていくことができます。
またIQが学業成績を予測するツールとしては役立つものの、社会での成功や自己実現を予測・訓練しているのは60~80%がEQであるとも言われています。
そんな人生を大きく左右するEQがまさにこれからの時代に重要視されるという実感を毎日のように感じています。
私が資格を取って8年ほどになりますが、これまでに100名以上の方の個人面談及び検査を担当させて頂き、また企業様のお話を伺ったり、カウンセリングではないものの日頃よりお客様のお話を聞くうえで色んな悩み事を理解することができます。
世の中のストレスの大半が「対人関係」であり、残りの「将来不安」を合計すれば ほぼ9割に達する私たちの悩み事を解決するには、まず何と言っても自己認識をしなければなりません。
そしてその次に他者理解です。
この作用は相互作用・相乗効果を発揮するものであり、誰か一部の人が理解をしてもその人のメンタルヘルスと自己実現には繋がりますが、世の中全体が良くなるまでには至りません。
多くの方が理解をすることで、たちまち、社会は明るくなっていきます。
それは自動車に緊急自動ブレーキの機能が搭載されても、相手の車にその機能が備わっていなければ事故が減らないのと同じようなものなのです。
兎にも角にも、これからの時代にEQを理解していて損はありません。
皆さんの中に否定的な資質があったとしても、それらをテコ入れすることで高次元で強みとして生まれ変わることがあるEQはまさにアフウヘーベンと言えます。
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