ミスを待つ人

既得権益をやたらと掘り返す正義感が大衆の支持を得ているのだとしたら、何とも喜ばしい時代が到来したことでしょう。

それによって一国の主を煙たがるムードが政界で蔓延し始めた ここ数ヵ月というもの。

今までソレを守ってきた者たちの中で「あいつ、やばい!」という見方に変わり、ジョークの一つも言わせてくれない状況となっているようですね。


この国に必要なのは愛嬌とユーモアだというのに。

ぎろっぽんでしーすー のあとは ざぎんでぶーくら よ。


私たちが生きていくうえで確実に外せない存在、それは他者との関わりです。

私は長年、対人関係についてある研究をしています。

それは「良い状態での戯れ」よりも「悪い状態でのリカバリー」がどのように表れるかという対人関係の調査と言ったほうが良いかもしれません。

そして上記の2つの資質と責任感・正義感の相関性を独自に調査しています。


私の友人で、家庭の事情により大学を諦め18歳から働くことを決めた男がいます。

彼は都内の飲料メーカーに就職し、若くして人事部として採用に関わる業務を任されていました。

そしてソフトウェアの知識を持って地元に帰り起業。

設立2年で出資を受けていた父親に HONDA レジェンドをプレゼントし、従業員は十数名、小学校時代に からかってしまった友人を申し訳なく思い その彼を雇い、また多くの若者を支える雇用を作り出してきました。

そして設立から4年ほど経った時点で、授業員に会社を任せ彼は明治大学に入学し、海外で経済を学ぶため 旅立ちました。


そんな彼とキャバクラ前に一杯やりながら。


この間さー。

取引先の営業マンの前で、わざと水こぼしたんだよね。

その時の対応見ててさ。

こいつ、違うなーって。。


この話を聞いた時、流石にそれはやりすぎだろうと思いました。

今でも、そう思ってます。

が、彼の中できっと その営業マンからヨイショを受けたり、ゴマをすられたり、大きなお金が動く前の対応として何がしかの煽てや接待があったのでしょうが、その判断の一環として、本当に信頼でき長年お付き合いをするに相応しい人物なのかを、荒っぽい手段と言われようが実行すべき時だったのでしょう。

決しておごり高ぶるような性格ではない彼が、そうしたのには苦渋の決断であり瞬時の判断としてユサブリをかけたかったのでしょう。

彼の人柄や前後の文脈を理解している私としては、頓智を利かせたアイディア賞を与えても良いと思いました。


実は、これは夫婦やカップルの関係性と全く同じことが言え、良い時は誰でも良い対応をするのですが、大きな障壁やトラブルに見舞われた際の対応がジェントルか否かは、如実に深層心理を表してしまいます。


そして、責任感がある人に正義感が希薄である場合があります。

責任感とは自分に任された仕事を全うしないことで周囲に迷惑をかけてしまうということを避けるべく、清らかな心の指針に従い、やるべきことを遂行する人であり、それを果たせなかった時にやってくる自分への後悔やバッシングを回避するための自己防衛としてソレ(責任感)が高まる傾向があるという、自分にも相手にも矢印が向くものです。

一方、正義感は黙って見過ごしても全く否定される筋合いの無い事柄に対し、この身が疲れようが、多少の損をしようが、名誉を奪われようが、弱者のお節介をしてあげたいという善意から成るものであり、矢印が比較的 相手に向いているものです。

(正義感を発揮している自分が好きな人は自分にも矢印が向きます)


どちらが良い悪いではなく、傾向として日本人は責任感が高いと私は思っています。

なぜなら「自分のこともしっかりとできないのに、他人の世話を焼こうだなんて違う気がする」という意見に多くの人が納得するのが日本人だからです。

これはミスを指摘され続けることで責任感が高まるとも言えるので、高いから良いというものではなく、それを生み出した背景を含めると先天的な気質だけではなく世が作り出す風潮がそうさせているのだと分析しています。


私はこれに対して「自分のことも ままならないけど、他人にしてあげたいのだから 良いじゃない。」


そう思うことが良くあります。


正義感とは「本当の意味での正義を問うものではなく非道徳的で秩序に反した者の行いに対しリスクを負ってでも、見過ごさず異を唱える勇気。」と捉えています。

本当の正義を戦わせたら、人の数だけ存在し収拾がつきませんからね。



・・・日頃 他人に対して


①気にならない程度の文句

②そこまで不快にならない相手の性格や態度

③気にしないようにできる範囲の嫉妬


が誰にでもあります。

これらを あえて口にすることは避けたいし、自分も疲れたくはないし、関係性を悪化させたくないので言うのを辞めておくケースが大半です。


しかし、これら不平・不満がある程度募ると、いつしか人は相手が失敗することを心のどこかで待ち望むようになってしまいます。

そしてミスをした瞬間、その傷口から入り込みマウンティングをするようになるのです。

マウントポジションでは「あなたは、ミスをした人。今日から上下関係はっきりさせて頂くね!」と言わんばかりに態度が急変するのです。


これを理解したうえで、先ほどの彼は その一部始終を冷静にモニタリングし、ビジネスパートナーには相応しくないという判断をしたのでしょう。


人事屋が、そういった賛否ある手段で人の適性を計るのはいかがなものかとも思いますが、それに似たようなケースが実は日々私たちの身の回りで起きています。 


そしてガースーもまず一発目、くらったわけですね。


ミスを待つ人があなたの周囲にいたら、どうしますか?

ミスをしないように努力しますか?

ミスをしても良いと捉え落ち着いて生活しますか?

それとも、私たちのように ちょっとミスってみるなんて勇気ありますか?


良いんです、ミスっても。

うちのスタッフは毎日ミスをしますからね。

で、私はどうするかって?

決まってるじゃないですか。

皆が私の対応を見てるのですから。



そして、皆があなたの対応を見てるんです。




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