3つの想像力
秋晴れの朝、車内に広がるコーヒーの香りが心地よく Let Me Live が私の劣勢に働きがちな副交感神経系を優位にさせてくれます。
近頃のニュースは「Go To キャンペーン」で持ち切りですね。
私も八ヶ岳の施設を予約してみました。
これが一時のカンフル剤であることは周知の事実ですが、その先にある継続的な消費行動のきっかけ作りによって、観光地の魅力ある施設が潰れないよう防ぎ、数年後に控えた陽の目の時(コロナ終わり)にインバウンドを狙える環境・国力を整えるべく、一時の「猫だまし」と言われようが、大切な国の資産を救済する意味で延命治療に着手しているように思えます。
そんな勝手なコンサルごっこを、自分なりに組み立ててみることが 世の中を紐解くスキルを磨き上げる訓練になっていきます。
実際の真意は一握りの官僚しか知らないのですから、当たっていても外れていても恥ずかしいことはありません。
ただ、想像することを止めるべきではないと思っています。
私たちが日常的に使用する「想像」と「創造」の他に、人の気持ちを慮(おもんぱか)る際にのみ使う「そうぞうりょく」というものが在ると私は思っていて、どうしても想像力と言うと イマジネーション や クリエイティビティ や インスピレーション といったテクニカルなワードを考えがちですが、そうではなく単純に相手と同じ景色を見ようとするスタンス、即ち Sympathy(シンパシー) や Empathy(エンパシー) と言われている共感(しようとする)力が今、とても不足していると感じています。
私たちは痛みを感じている人に対し、共感することでその方の気持ちに寄り添い、適切なサポートや対応をする力を本来持っています。
しかし時間的・経済的に厳しい状況を迎えた体力弱者ほど保身に走るしかなく、分かっちゃいるけどやめられない(見て見ぬふり)という世知辛い行動を見せてしまうのです。
ですが、本当はこの痛みを感じている人の気持ちを想像する(共感しようとする)ところから、サービスが生まれ、新たなお仕事が作られていくわけです。
そう、全ては困りごとの解決がビジネスの根源であるように。
この発想を失いつつある大勢が、今後 他者や他国から金銭を頂けるように育んでいくのには、壮大な教育改定や価値観の変動が起きる事実がなければ難しいと思っています。
自分のことで精いっぱい、自分のことが可愛いという人に、お金や名誉が舞い込んだ試しがありません。
世の中の困りごとを解決するために必要な共感力を磨く習慣を子供の頃から育めると良いですね。
近年では、政治が資本にマウンティングされ始めました。
総理よりも、国民を救うサービスを発明した企業のCEOのほうがヒーローであり権力者なのです。
清き一票よりも、あなたが誰かを思う優しさが現実を変え、
政党の支持よりも、推しメン企業の株を買うことが明日を変えるのかもしれません。
他者への共感という3つ目の想像力が、お金を生み出し、世の中を変えると信じていますし、同時に今の子供たちに乏しい要素として留意しています。
痛みを理解できる人になろう。
そのためには、自分が精一杯のチャレンジをして、先ず痛みを知ろう。
誰かを愛して、とことん傷つこう。
本気になって、人生賭けて、大胆な裏切りに在ってみよう。
行動を起こしていない人に痛みはわからず、
痛みを理解していない人に、困りごとの解決はできませんよね。
世の中が、困りごとの解決という発想を持つことで、勉強が苦手な子供たちに新たな職業選択を持たせてあげられるかもしれません。
AIに負けるなよ!
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