仕事・貯蓄?古い!

先日 好きなことを仕事にしている人たちが集まる会に参加してきました。

この会の面白いところは単なる経営者会ではなく「自分の力で好きなことを仕事にしている」という社長が揃っているところです。

しかも余暇を楽しむ利益と成果を上げている点も忘れてはいけません。


皆さんはSE・プログラミング教室・整骨院・自動車整備・不動産業・人材紹介・コンサルティング・職人・クリエーター・アスリートのマネージャーなど様々で簡単に言えば異業種交流なのですが、打算的な人脈作りはなく「頑張りすぎている人をなだめ」「落ち込んでいる人を励まし」「ゼロサムにならない面白い未来を考える」という支えあいの会です。

クラウドファンディングも行われます。


参加者の中にはルート66(アメリカ横断ツアー)に参加する者もいて3週間ほど仕事を休む方たちもいます。

また賽銭箱に三万円を置いてきた者もいます。


平均年齢は40歳で、当然私は一番の末っ子です。


堀江貴文・武井壮・落合陽一・高橋歩など今を時めく風雲児の話に深く共感しつつも、仮想通貨や投資に対し誰もが手を出すべきではないとの見解も冷静に持ち、多くの方たちが好きなことを仕事にできる仕組みを作れたらという話が飛び交います。

そのためにも、私たちは偏りのないよう異業種で集まり、その成功モデルを発表しあい未来に繋げていく必要性を感じています。


落合陽一さんも言っておられますが、日本の社会は「エディケーションが先でアートが後に来る」と。


これには私たちも共感していて、アートが先に来ないとダメなんです。

そしてそのアートを使って経済価値を生むために、外枠である「相手や社会の要求に合わせる能力」と言ったビジネススキルを後で学べば良いと思っています。


もっとピーキーで良い。

もっと専門分野に特化していい。

ただし、自分には欠けているところがあることを素直に認め、それを補ってくれる人と上手に結びつくための愛とコミュニケーション能力を磨く必要はあります。


武井壮さんも専修大学の学生に講義をしていましたが、世の中で経済価値を生むには「多くの人に求められること」「求められる数でしかない」と分かりやすく言っています。


勉強ができることの意味は、それを通じて得た知識が誰かの役に立つときになって初めて「意味」=「経済活動」になります。

誰かのためにならなければ「意味」=「経済活動」=「お金」にはならないのです。

それを日本の社会は「誰かのためになることを」というニュアンスでは子供に教えません。

日本人は自己満足の学習を褒めたたえる傾向にありますが、これこそ結果重視。

勉強したってえらくない、人のためにならなければ意味がないのです。

知恵を成果に結びつけなければ意味がないのです。


ストレートに「お金を得られるようになってほしい」と言ってしまえば親は楽になります。

お金を得るということは、お金を払う側を幸せにすることでもあるのです。

誰でも、家を買うとき、車を買うとき、洋服を買うとき、嫌々購入する人はいません。

胸がときめきます。

病院に行くときにお金の使い方として少し生産的ではないという気になりますが、体調不良の自分を良くしている人には当然感謝が生まれます。

誰だって、お金を払うときには自分の意思決定で決めて経済活動を営んでいます。


経済価値とは「人が求める数」で決まります。

国家予算だって、誰も通らない道に多額の道路工事費用をかけられないのと同じで、「人が求める数」が多いときに大きなお金が動きます。

「それを必要とする人がいる」と言ってもらえるような人生や経済活動をすることが未来の子供たちへのメッセージです。

そのために必要な勉強だったら、それが必要だと感じた時に自らの意思で学べば遅くはありません。

私たちは20歳以降の伸びしろが半端ナイと語り合います。

それは学びのゴールデンエイジだからです。

学びは20歳から。

実社会に飛び込みながらPDCAサイクルを回すことが手っ取り早いと彼らは知っているからです。

では20歳までにすることとは何でしょうか?

それは楽しいと思えることを見つけ、人が喜ぶ瞬間を多く目の当たりにすることだと思います。

それを得るためには当然、部活動などに真剣に取り組む必要もあるかと思います。

その感覚を知らなければ大人になったときに「人を喜ばせよう」というセンスが湧きにくくなります。

これはセンスです。

でもセンスは磨くことができます。


最初から「自分のやりたいこと」×「人に求められること」という観点で子育てをしたほうが、子供たちにはシンプルに伝わる気がします。


「人のためになれる」「人を救える」「人を喜ばせる」ために生きてみよう!

そう言って子供たちと接し続けてきたら、きっと社会は変わる気がします。

もっと自然の摂理にしたがって、生まれつき勉強ができてしまう人たちがお医者様のような仕事に就けばよくて、頑張らないとなれないという職業に無理やりついてもアートが無いので、その本人は不幸です。

なので政治家はすごいです。

多くの人が自分の目の前で反応が起きてこそ「ああ、やった甲斐があった」と実感できますが、自分の動かしている物事のスケールが大きい人たちは、その反応が出るのも遅く、リアルタイムでやり甲斐を感じにくいわけで、そのような物事に真摯に向き合える人たちは、さぞかしスケールの大きい「人のため」を持っているのだと思います。


勉強ができるようになることは人を救えるようになることではありません。

最初から自分が興味を持った分野で社会と繋がってこそ、お金ではない何かの存在に気付けるのです。

これは富を持った社長たちのリアルな声です。

この「お金ではない何か」の存在に気づけない人は最初から幸福になるセンスがない人です。


恋愛で例えるならば「あの子は第三希望だけど この人だったら口説けそう」と思って告白する人はいません。

しかし職業選択の場では当たり前にこのようなことが起きています。

そこは妥協するな!

と思いますね。

生まれてずっと教育をさせられてきた辛抱強い子供たちが、そんな一瞬の妥協を許してしまうなんておかしすぎます。

「チョコレートは苦い」という嘘が5歳までは通用して、「勉強しないと困るのはあなたなの」という話が10代後半まで通用する社会はつまらないですね。


私たち大人は自分が実現した成功法と失敗論しか語れません。

「好きなことで生きていく」事に関しては80%の大人が未知なので、それを子供に伝えることは極めて恐ろしいことでもあります。


結局この18人の勇者たちは一般の方たちと何が違うのでしょうか?

①「好きな仕事をしている」

②「多くを求めない」

③「人のためになることを考え付くセンスがズバ抜けている」

④「多くの人との接触や会話から不安が無駄な不安だと理解しているから貯めこまない」

⑤「常に今が人生の本番だと理解している」



「成功したい!」これも古いです。

相手のためにならなければ1円も生まれません( ;∀;)


「仕事に一生懸命!」これも古い。

仕事は遊びの延長です。

だからと言ってプロ意識が必要ないわけではありませんし、相手への感謝だって必要です。

仕事という言葉をやめたとたん、労働基準法として定められている勤務時間は目安ともならず、好きなことを好きなだけして、疲れたと思ったら休みを取れば良いのです。


心配の種を減らすための習い事も古い!

子供たちの可能性を広げるというフレーズも古い!

貯金も古い!


80代の人たちが「勉強しなさい」とは言わなかった。

就職氷河期に大変な思いをした40代は「勉強しなさい」と子育てした。

ではこれからの未来に必要なものは?

AZUMINO FITNESS STUDIO

~全国からゲストが集まるピラティススタジオ~

0コメント

  • 1000 / 1000