そこにドラマはあるか

嗚呼 ここ数年で一番子供と接した1週間であった。

組織の安定が精神の安定を生み、精神の安定が私に自由な時間を与えた。


軽井沢・神奈川・長野と色んなところへ出かけたこの期間には、子供の好きなゲームセンターにも小一時間ほど立ち寄る機会があった。

そこには100円を投入するものやメダルに替えて遊ぶものがあり、メダル遊びを ついビジネスに重ねてしまった私。


ビジネスはメダルゲームのようなものだ。


一枚賭けて一枚失う。

三枚賭けて三枚手にする。

五枚賭けて五枚失う。

ある一定水準を行ったり来たり。

そんな小波に一喜一憂。

至るところにドラマあり。


「はい、これを使って遊びなさい」と親から500枚のメダルを手渡された子供は、それを600枚に増やしたり、400枚、300枚、また400枚という飛行を長期的に続ける可能性を持ち合わせることになる。


しかし「元手」とは、人生からドラマを奪いかねない。

「最初はこのくらいあったのだから、少なくともこのようにはなってもらいたい」という下手な望みも孕んでいる。

はたしてその人生が楽しく、充実し、ドラマティックなものであったかは、メダル10枚を考えながら増やそうと目論む者とは当然一致せず、双方の喜びや感激も一致することはない。

10枚と500枚の幸福感は冗談抜きで比較できるものではないのだ。


ビジネスとはコインを増やすゲームではなく、市場に存在しなかった概念や その人に存在しなかった価値や感情を新たに発掘し、価値と価値観を作り出す工程の中で、文化、社会、娯楽、暮らしの快適性、豊かさなどを向上させる働きかけのことであると私は認識している。

それに共感が多い場合、当然のこととして(感謝として)報酬が支払われる。


コインを増やそうという発想が発端となるのではなく、また自身の技量が世の中でどの程度の価値を持つものかと試すのでもなく「なくてはならない」と「あったらいいな」に耳を傾ける姿勢こそが企業活動の中では永遠に問われ続けるテーマとなる。


誰がYou‐tubeの出現を予測しただろう。

誰がLineを予測しただろう。


賛否はあっても、世に受け入れられる画期的なツールの始まりは、きっと友好的な感情から始まっている気がする。


人生とは、頭が良くなることをミッションにはしていない。

人生とは、お金を持つことをミッションにはしていない。

人生とは、気が付いたときには始まっていて、楽しむことでしか肯定されない。

人生とは、気が付いたときには始まっていて、正義感、責任感、使命感、秩序とやらで、次にトイレを使う人のことを考えてトイレットペーパーを三角に折りたたむように、次の世代のことを考えて良心を発揮する必要が時々ある。


後世に残したいもの。

それは「いくら」ではなく「どのようにして」お金を手にするかという問いへの迷い無き返答である。


自分色を発揮しながら社会と繋がれる幸福感を一人でも多くの子供たちに経験して頂きたいと切に願う。


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