CEO ROOM

気づいたら生まれていた私たち。

気づいたら訓練を受けていた私たち。

その訓練は何のために必要なのか。

その訓練は楽しいことを差し置いてまで行う必要があることなのか。


我慢した先に幸福が待っているというのだろうか?

いや違う。

楽しいことの先に幸福が待っている。

生まれて早速楽しい習い事をし、その習い事は確実に未来の役に立つものでありたい。

答えは簡単、遊べばいい。


人は何のために生まれてきたのだろうか?

苦しむためか?

それも違う。

楽しむため、遊ぶためである。

そう決まっている。

ただしルールがある。

他の人と未来の環境にだけは配慮をしなければならない。

他の人や後から生まれた人も楽しみたいに決まっている。

あとは自分の正解に向かって進むだけ。

「これだ」というものを見つけ、突き進むしかないのだ。


ピラティスは未来への訓練なのか?

そうとも考えられる。

が、純粋にそれ自体が楽しい。

純粋にその時間が楽しくなければ これほどに世界中の人々を魅了できるはずがない。


今この瞬間の心のアベレージは何点?

30点?

80点?

なぜ?

それはいつまで続く?

今が幸せでない人が未来に幸せになれる確率は何パーセントだろう。

考えてみて。

なぜ今、低いの?

自分で道を決めた?

誰かと比べてない?


人には生来、

能力を発揮したいという 【有能感】

自分でやりたいという 【自主性】

人々と関連を持ちたいという 【関係性】

という3つの心理的欲求が備わっている。

この欲求が満たされるとき、私たちは動機づけられ、生産的になり、幸福を感じる。


幸せになりたかったら自分で道を決めよう。

人の判断に従ってうまく行かなかったとき、それを否定するのは簡単だ。

そんなことして、何が生まれる?


分かっているけど行動できない?

子供の時にちゃんと遊んだ?

インプットと同時にアウトプット(あそび)をした?

双方が揃わないと行動は起こせないって茂木健一郎も言ってたでしょ。


今からでも遅くないよ。

今から遊べば遅くない。


自分で能力を発揮して何かをする。

そこに共感して集まった人との関係を楽しむ。

これ、人類のトリセツ通りのやり方じゃないか。


私たちが欲しいのはお金ではない。

「うまくいっている」

「成功している」

「自分はできる奴」

そして・・・「人のためになっている」という感覚なのだ。


人生に疲れた?

子育てに疲れた?


わかった、わかった。

でも遊んだ?